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真田丸キャストの宇喜多秀家とは? [武将]

高橋和也演じる宇喜多秀家、関ヶ原であまり西軍のために
働かない武将が多い中で獅子奮迅の活躍を見せた勇将
俳優の高橋和也さんは上手に演じていると思います。
きっと秀家さんもこんな感じだったのではないでしょうか?
宇喜多秀家.jpg
小早川秀秋とはよく似た立場にはあったと思いますが
多くの意味では対照的な武将だったのではないでしょうか?
ukita.jpg
http://www.city.okayama.jp/museum/rekidai/ukita/hi...から引用

父はあの美作で梟雄と名を轟かせている宇喜多直家の二男として
生まれました。その晩年は秀吉の中国平定に協力し秀家を
託して亡くなりました。秀家はその後加藤清正や黒田長政と石田三成
同様に豊臣恩顧の武将として成長していきました。
朝鮮出兵前後から歴史に大きく名前を刻んでいきますが出兵前
日本か朝鮮の関白にさせると秀吉が表明しているほど信用されていたんですね。
歴史的には小牧・長久手で大阪城を守備しているということでこのあたりから
名を刻んでいるようです。
文禄の役では総大将という立場で参戦
石田三成や大谷吉継などと一緒に全軍の指揮をとっていました。
前田利家の娘豪姫を娶り、気が付けば秀吉・利家の2大巨頭を
養父にもち、5大老の中では最年少だったはずです。まさしく
秀吉亡き後、次期豊臣政権の中枢を担う一人として成長していきました。
1点、秀吉亡き後、家臣団が揉める宇喜多騒動というのが1599年に勃発
したようです。背景の詳細はわかっていないようです。
ただ秀家は良くも悪くも一本気のところがあり、この家臣団と揉めたことが
5大老筆頭の地位をなくしてしまいました。
この性格からすると福島正則などの武断派のような感じがして、反三成と
思うのですがなぜか西軍なんですよね。三成はきらいだったかもしれませんが
本当に秀頼様のために働いたんでしょうね。


そしていよいよ関ヶ原に突入秀家は西軍の副大将として石田三成、大谷吉継らとともに家康断罪の檄文を発し、
西軍の主力となりました。伏見城の戦いでは総大将として参加し攻略、その後本隊と別れて伊勢国長島城を攻撃した後、
美濃国大垣城に入城し西軍本隊と合流した。関ヶ原の戦いにおいても西軍主力(西軍の中では最大の1万7,000人)
として戦い、東軍の福島正則隊と戦闘を繰り広げました。しかし同じ豊臣一門である小早川秀秋の裏切りで
西軍は総崩れとなり、宇喜多隊は壊滅した。

敗戦後秀家は伊吹山中に逃げ込んだ矢野五右衛門にという落ち武者狩りの人物にあうが
40日もかくまってもらいその後返送して島津家にかくまってもらったようです。
。しかし「島津氏が秀家を庇護している」という噂が広まったため徳川に差出
久能山に蟄居後、斬首されることなく八丈島に配流されました。その後天寿を全うしたということです。
この時名前を“浮田”と名乗っていたようです
この地で50年いきたようです。豊臣家恩顧の武将で一番長生きしました。
偶然嵐のため八丈島に退避していた福島正則の家臣に酒を恵んでもらった話」は
有名な話ですね。






タグ:武将

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